『アイユ』連載「感染症の歴史における差別」 第6回

 

 

 1981年、エイズ(AIDS:後天性免疫不全症候群 Acquired Immunodeficiency Syndrome)が発見された。当初は原因不明であったが、1983年に原因ウイルスが発見されてHIV(ヒト免疫不全ウイルス)と名付けられた。しかし、HIVの感染が直接エイズの原因になるのではなく、HIVがヒトの免疫をつかさどるリンパ球(CD 4)に感染して、CD 4の数を激減させる。そのためそれまでは維持されていた免疫力が低下して通常であれば防げていた帯状疱疹やカポジ肉腫などのヘルペスウイルス感染症、結核、カリニ肺炎などが重症化して、発症1年程度で死に至る。そのため「死病」と恐れられた。急速な死亡に加えて、ほとんどの感染原因が性感染であることが判明した。それも異性間の性感染以上に男性間の性感染症が圧倒的に多い事が明らかになり、同性愛が市民権を得ていない時代にあって、「穢れた病・汚い病」として患者は差別の対象になった。子ども同士でも、病気とは何の関係もないのにエイズと言って相手をからかい、いじめることが起きた。生活苦でやむなく働く性労働者の中から患者が多く出て、どこの国でも差別された。出産時の感染を恐れてHIV陽性の妊婦の出産を引き受ける産院が初期の頃はほとんどなかった。哲学者のミシェル・フーコー、クイーンのフレディ・マーキュリー、俳優のロック・ハドソン、バレエダンサーのルドルフ・ヌレエフなど有名人のエイズ死も騒がれた。

 悲劇的であったのは、血友病患者への治療用の血液製剤注射での感染と死亡が起きた事であり、中でも日本は世界最多の患者数になるまで非加熱製剤の停止が遅れるという政策判断のミスが起きた。血友病患者は、ただでさえけがによる出血を恐れているのに、血液製剤によって自らの責任ではないHIVに感染して、エイズを発症したりして社会的・経済的にも苦しめられた。政府・厚生省(当時)も裁判で敗訴するまで責任を認めなくて、血友病患者の多くが長くいわれなき差別に苦しんだ。

 しかし、1987年に初めて認可された抗エイズ薬のAZT(満屋裕明が効果を発見)により多くの抗エイズ薬が開発されて効果を発揮し、HIVの増殖が抑えられて、エイズ発見後10年余りでエイズで亡くなることは無くなった。しかし、途上国では抗HIV薬の入手が十分でなく、いまだにWHOによりエイズ、結核、マラリアが3大感染症に指定されている。

 

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加藤 茂孝(かとう しげたか) 国立感染症研究所室長、米国CDC(疾病対策センター)招聘研究員、理化学研究所新興・再興感染症研究ネットワーク推進センターチームリーダー、WHO非常勤諮問委員、日本ワクチン学会理事などを歴任。現在、保健科学研究所学術顧問。
専門はウイルス学、特に、風しんウイルス及び麻しん・風しんワクチンの研究。胎児風しん感染のウイルス遺伝子診断法を開発して400例余りを検査し、非感染胎児の出生につなげた。
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