『アイユ』連載「感染症の歴史における差別」 第4回

 

 

 人類と感染症の歴史において、短期間に大量の死者を出したのは、ペスト(黒死病、1347~51年)とスペイン風邪(病原体はインフルエンザ・ウイルス、1918~20年)である。この時のペストでは7,500万人が、ヨーロッパの人口の1/ 3から1/ 2が亡くなったと推計されている。2020年に広がったCOVID-19の比ではない大災禍であった。人口急減に伴う社会構造の大変革が起こり、中世から近世への転換をもたらした程である。

 当時はもちろんペスト菌は発見されていない(1894年、イェルサンと北里柴三郎が発見)し、光学顕微鏡さえない(1590年、ヤンセン父子の発明)ので病原菌は見えず、その分だけ余計に人々に大きな恐怖をもたらした。その恐怖に対抗すべきローマ教皇の祈りも医療を担っていた教会の修道士の治療も全く無力で、教会の権威は失墜した。

 見えない大きな恐怖に出会った時の人々の今も変わらない典型的な三つの行動が大規模に現れた。①避難:最大の比率で起きる行動で、ペスト患者が発生していない地域に逃げる。ペストは毛皮を運ぶ船で運ばれてきたので港から内陸に広がって行ったが、町から山荘などに逃げ込み、流行が終わるのを待つ。イタリアの小説「デカメロン」(1348~53年)は郊外の別荘に逃げ込み外界との交流を隔絶して立てこもった人々の話である。しかし、この避難行動は裕福な人や自由業の人しかできない。1377年には船に対する検疫が始まった。②迫害:ペストの原因探しが始まる。この時、犯人とされたのがユダヤ人であった。1世紀に国を追われたユダヤ人は各地に広がり、定職に就けない事から金融業などを営んでいた。ユダヤ教の規律を守ったので、比較的衛生的で患者発生数も少なかった。日頃の金に対する恨みと妬みも加わり、病毒をまき散らした犯人と名指しされたユダヤ人は、殺害されることもあったが、多くは東欧のポーランドやエストニアなどへ避難した。600年後にナチスドイツから再び迫害を受けることになる。③反省:災禍の原因は自分たちの不信心な生活への神からの懲罰、つまり天罰であると感じた人々は、神からの許しを求めて反省の態度を示し、自らを鞭打ちながら通りを行進した。それでもペストが収まらないので、反省が足りないと鞭にくぎを刺して血だらけになりながら行進した。見かねて教皇が禁止令を出した位であった。ペスト時代と現代とで人々の行動は大きくは変わっていない。

 

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加藤 茂孝(かとう しげたか) 国立感染症研究所室長、米国CDC(疾病対策センター)招聘研究員、理化学研究所新興・再興感染症研究ネットワーク推進センターチームリーダー、WHO非常勤諮問委員、日本ワクチン学会理事などを歴任。現在、保健科学研究所学術顧問。
専門はウイルス学、特に、風しんウイルス及び麻しん・風しんワクチンの研究。胎児風しん感染のウイルス遺伝子診断法を開発して400例余りを検査し、非感染胎児の出生につなげた。
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