『アイユ』連載「感染症の歴史における差別」 第12回

 

 

 「新型」の感染症が現れるたびに、感染症に対する不安が増強されてきた。現在では新型細菌感染症は少なく、新型ウイルス感染症がほとんどである。不安の背景には、新たな感染症は得体が知れないからであり、治療薬、特にワクチンや抗ウイルス薬もいまだ開発されておらず対処の手段が限られている事にある。現代の科学的知識や技術の発展は、診断や治療技術の解明や開発に必要な時間を大幅に減らしてきた。しかし、それでも、アウトブレイク*1の最初には不安が社会を覆う。技術的な問題以上に不安を増大させているのは、皮肉なことに情報発信の技術的な進歩であり、その発信される情報に乗ったマスメディアや政治的対処による増幅現象である。

 2009年4月24日に、メキシコにおけるブタ由来の「新型インフルエンザ」の発生が報告され、5月9日に成田空港への帰国第1号患者、5月16日には関西地方で海外渡航歴のない第1号患者の発生が報告され、日本における社会的不安は最高になった。

 今から思えば不安拡大の第一の大きな理由は、「新型」という命名法である。これはWHO(世界保健機関)が単に今までになかった新しい型のインフルエンザであるという事でその名称で発表しているに過ぎないが、社会一般にはそれまでのインフルエンザよりも遥かに恐ろしい「新型」という感覚で受け取られた。それに輪をかけたのが、当時の舛添要一厚生労働大臣の深夜における第1号患者の発生報告である。この行為が、大臣が直々深夜に報道するほど恐ろしい疾病であるという印象を市民に決定的に植え付けた。WHOも後に安易に「新型」と言うのは慎重であるべきだと反省し、別の名称に替えている。

 最初に感染者を出した東京の高校では、制服がすぐ分かることからその学生達に電車に乗るな、クリーニング店に服を出すなと迫害状態に陥った。ごく初期に感染者を出した大阪の高校でも同じことが起きた。

 海外の患者発生国への出張を制限し、出張した人には帰国後数日の自宅待機が課せられた。終わってみれば、日本は世界的にもわずか約100人の死者しか出さず、毎年の季節性インフルエンザの死者約1,000人に比べても遥かに少ない結果に終わり、世界の優等生扱いを受けるほどであり、大変幸運なことであった。感染症対策で最も重要なことは不安を減らす事であるが、実際には不安を増幅させる情報発信や政策が絶えない。リスク・コミュニケ—ションの在り方を常に検討しなければならない。

*1) 通常の予測されるレベル以上に、感染症の症例数が増加すること。

 

加藤茂孝さんの連載は今回で終了です。ご愛読、ありがとうございました。

 

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加藤 茂孝(かとう しげたか) 国立感染症研究所室長、米国CDC(疾病対策センター)招聘研究員、理化学研究所新興・再興感染症研究ネットワーク推進センターチームリーダー、WHO非常勤諮問委員、日本ワクチン学会理事などを歴任。現在、保健科学研究所学術顧問。
専門はウイルス学、特に、風しんウイルス及び麻しん・風しんワクチンの研究。胎児風しん感染のウイルス遺伝子診断法を開発して400例余りを検査し、非感染胎児の出生につなげた。
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