『アイユ』連載「感染症の歴史における差別」 第8回

 

 

 梅毒は、1492年のコロンブスによるカリブ海のサンサルバドル島(新大陸)発見に続く、新大陸との交流時代、いわゆる大航海時代に旧大陸*に持ち込まれた性感染症である。病原体である梅毒トレポネーマ(1905年にシャウディンとホフマンが発見。初めはスピロヘータと命名されていた。)は新大陸の住民の間で長年トロポネーマが症状を出さない良性のまま体内で受け継がれてきた。それが新しい宿主として旧大陸のそれまで免疫のない人々の間で症状が強く出て、急速に感染拡大していった。最初スペインそしてヨーロッパに持ち込まれてからアジアの東端まで20年の間に当時としては驚くほどのスピードで広がった。大坂(現・大阪)には1512(永正9)年到達なので、マジェランのスペイン艦隊世界一周(1519~1522年)やポルトガルの種子島到達(1543年)より早く東アジアに到達している。

 梅毒の症状である第1期のしこりや第2期の紅斑は、いったん消滅するので一見治癒したように見え、感染者の自覚なく感染拡大して行った。美男美女の病として「もてる事」の象徴として当初はむしろ自慢の種とさえされたが、18世紀頃から社会的に恥ずべき病としての認識へと変化して行った。女性のイブニングドレスの背中や胸元、肩が大きく開いているのは、私は梅毒患者ではありませんよと言う無言の表明の為であった。

 1910年ドイツのエールリッヒと日本の秦佐八郎がサルバルサン(606号)が梅毒に有効である事を証明した。これはヒ素剤であるので現在では使用されていない。サルバルサンの有効性の発見当時、古い道徳主義者は「患者は不道徳な事をしたのだから、病気で苦しめばよい」とサルバルサンの使用を非難した。戦時の軍隊では、戦闘の妨げになるというので、ハンセン病、結核、精神病と並んで梅毒は隔離排除対象になっている。1943年にマホニーがペニシリンが梅毒にも有効であることを報告し、ペニシリンの量産が成功してからは治療にペニシリンが使われるようになり、現在では重症(第3期、第4期)の梅毒患者を診ることはなくなった。大きな話題にはならないが、軽症の梅毒患者の報告例は現在の日本でも多い(2021年7,983例)。男性は20代~50代に、女性は20代に集中している。梅毒、HIV、クラミジアなどの性感染症が、いまだに自分の責任であると非難される傾向は多少弱くなったとはいえ今でも残っており、患者は周囲に知られたくないことから、性感染症の早期発見、早期治療、制圧の妨げになっている。

*) ユーラシア(アジア、ヨーロッパ)、アフリカ大陸を指す。コロンブスがアメリカ大陸到達以前に、ヨーロッパ人が認識していた大陸のこと。

 

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加藤 茂孝(かとう しげたか) 国立感染症研究所室長、米国CDC(疾病対策センター)招聘研究員、理化学研究所新興・再興感染症研究ネットワーク推進センターチームリーダー、WHO非常勤諮問委員、日本ワクチン学会理事などを歴任。現在、保健科学研究所学術顧問。
専門はウイルス学、特に、風しんウイルス及び麻しん・風しんワクチンの研究。胎児風しん感染のウイルス遺伝子診断法を開発して400例余りを検査し、非感染胎児の出生につなげた。
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